2018年3月14日水曜日

お宅訪問レポート

首相ハウスの前で抗議が行われているとの事で現政権に思う所もあるし、インターネットの中継を見てるとなんかめっちゃ怒ってる人が沢山居るので、こりゃどんなもんだろうと足を運んでみた。

自分が着いた頃には駅にプラカードを持った人やスマホでSNSをチェックしてる参加者らしき人がポツポツ居たが地上に出るともう人影はまばら。どうやら大体解散していたらしい。情弱の極み私である。

そんなわけで隙あらばものは試しと政権批判の一つでもしてみようかと考えていたが結局のところ「えらく立派なつくりの美しい建物だなぁ、セコムどころか警察官の警備付きの豪邸なんてそうそう無かろうなぁ、権力の座はさぞかし気持ちよかろう」などと俗っぽい事を考えながら普通に観光して帰宅するに至った。

そんなわけでTwitterにちょっとそんな感じの事がありましたとでも書こうと思ったのだけどなんか140文字ではおさまらず、ちらしの裏にでも書いてろと言われそうな気がしたのでこっちに書くことにした。

デモと言えば右も左も過激なコールがお馴染みでして、○○辞めろ!、○○消えろ!と過激かつエモーショナルに扇動するのがお約束だが、あれって実際意味あるんだろうか?
 確かに報道された時なんかは”あー、この人たちめっちゃ怒ってるなぁ”とわかりやすい絵面になると思うし、それによって同じような怒りを感じている人の共感を集めるには効果あると思うんだけど、正反対の意見や思想を持つ相手をそんなことで説得して転向させられると本気で思ってるんだろうか。

もしかしたら幼い頃に親や教師やその他立場の強い人間などに恫喝されてわけもわからず従った経験者で、それ以外に異なる人間を説得あるいはスルーする方法を学ぶ機会が無かったのではないかと参加者達の生い立ちが心配になるし、果たして口汚く罵られて相手の要求を呑む気になる人間なんて居るのだろうか…などなど色々考えてしまう。

こうゆう事を書くとやっぱり『何のんきな事言ってるんですか!今この国はそれどころじゃないですよ!未曽有の危機なんですよ!民衆が声を上げて闘う必要があるんですよ!キンタマついてるんですか!』と怒られるのかもしれない。そうすると「うるせーなぁ、そんなに政治家に文句があるならお前が政治家になって同じ土俵で闘えよ、おめーら居酒屋でプロの試合にたらればで年中文句ばっか言ってる奴等みたいでダサいんだよ」と自分は小学生並みの悪態を付きたくなるが、権力の監視は必要だから活動をする人が居なくてはますます好き放題やり放題って事になりかねないので一定数は絶対に必要だろう。自分に出来ない事をする人は世の中に必ず必要なのだ。あんまり悪く言ってはいかんですね。

プレーヤーだけでは成り立たないのはスポーツや音楽に限らず世の中もそうなのだろうし、熱心なファンからにわかな人まで色々いるだろう。

で、たぶんそっち方面に関しては門外漢な自分は色々考えて行動する人たちから見たら結局にわかなのだろうな。そして自分のように良く解ってない連中が良く解んないなりに色々考えて投票に行くわけだ。
それはそれでアレな気もするが政治に直接関わるのはそのくらいが自分にとっては丁度いいとやはり思う。自分の代わりに面倒くさい事をやってくれる人を選べる選挙は偉大だ。そんなわけでデモは行きたい人がじゃんじゃん行けば良いと思うが選挙は全員行っておきなさいってのが現時点での自分の考えだな。でもまぁ人間は変わり続けるから来年の今頃はどう考えてるかはわからんすな。まあでもそのときはそのときで。

追記:
これが音楽方面の話になってくると○○辞めろ!○○消えろ!みたいなところの○○に政治家の名前よりも色々と思い浮かんでくるのが不思議な話である。街に出て叫びはしないがやはり自分が闘いたいのはこっちだ。
自分の好きじゃない音楽しか知らない人達には"んん!こんなのはじめて!こっちのがイイ!"と思わせ、音楽的にウマの合う奴等には"そうそうこれこれ!コレだよコレコレ!"と唸らせられる作品を作ってぶん投げなくてはならんのだ。ふぬがぁぁぁぁ。

2018年2月28日水曜日

告知は恥だが役に立つ

バンド活動とライブ告知は大変悩ましい問題である。
かつてSNSが今ほど無かった頃は直接メールをしてお知らせしたりしていたがその頃ぶっちゃけ告知と言う物が苦手だった。

 別に悪い事をしているわけでは無いのだが新興宗教の勧誘や高価な羽毛布団を押し売りしてるような後ろめたさが自分にはあるのだ(実際やってることは大体同じだ)

これが仮に新興宗教の勧誘ならば勧誘するほどの信仰心があるわけだから世のため人のためとの強い意志を持って恥ずかしげなく勧誘できるし、高価な羽毛布団ならメイクマネーのためにえんやこらってな具合だが、基本的に自分は見たいものがあれば勝手に調べていくし、買い物する時も気が散るので極力店員さんには話しかけられたくない、見に来る人もまあ大体そんな感じだろうと悠長に構えていたが当然客足は伸びず、ライブハウスにノルマと言う名の上納金をせっせと納め「君らかっこいいんだけどもうちょっと人呼べればねー」とかお店の人にチクリと言われてたりしていた。

まぁそんなこんなでバンド活動をやってく中で人によっては「なんだよー、連絡くれれば絶対行ったのにー」とか言ってくれたり、世の中を見渡すと買い物をするときに店員さんとコミュニケーションをする方が好きな人もいるようなのでなるほど、役に立つ人もいるんだよなぁと思うようになり少々自分の考え方も改めねばと思うようになった。


 で、宗教の勧誘にしろ羽毛布団の押し売りにしろ営業にしろ自分の扱う物の価値を高く認識していないと実際やるのは難しかろう。要は自信が必要なのだ。カンフィデンスがマストなのだ。

 「えと…今度神様について勉強する集まりがあるんですけど…万が一その日暇で時間と心に余裕があったら来てやってください…」とぼそぼそ言っても人は来ない。俺は行かない。
「こんど超楽しいパーティあるから遊ぼうよ!ビンゴもやるしドリンクとスナックも飲み放題つまみ放題だよ!」と言われれば『超楽しいパーティってなんだよ…胡散臭ぇ、コイツうぜぇな… え?マジ?ビンゴあんの?飲み放題食べ放題?マジで?いくいくぅぅ!』となるだろう。で、当日『ガッデム!!新興宗教の勧誘じゃねぇか!!騙された!!』となるわけだが確かにビンゴはあったしコーラは飲み放題だったしハッピーターンとばかうけが紙皿の上にこんもりと用意されていたしってなってれば誘った人は嘘をついた事にはならないし、とりあえず人を呼ぶって目的は達成できるわけだからとにかくそこに行ったら何があるかってのを具体的に提示する方が良かろう。

そしてバンドの場合なら来た人を来て良かったと納得させるパフォーマンスをすればお互い今日と言う日があって良かった、お誘いありがとう、いえいえほんと来てくれてありがとう、となるわけだ。良い話じゃないか。
納得いかないパフォーマンスをした場合は『ガッデム!!騙された!!』となるかもしれないが。。。

確かに過度な告知はエロサイトの広告のようにうざいが、自分が告知をする事でうざいと思う人はそもそも自分の人生を何一つ助けてはくれないのだ。

それだったら自分の表現活動を肯定的にとらえてくれる人を1人でも増やす可能性を取って勇気を出して告知した方が良いんではないかなと最終的には思うようになった。

 そんなわけで今でもやっぱり少々MPを消費するなぁと思いながらも、基本的にはちゃんと告知するよう励みたいものです。
精神的に不安定な時期だとMPが無くてできなかったり、照れ隠しでついどうでも良い1文を加えたりしまうのだが。







【お知らせ】

あ、今日超楽しいパーティあるんだけど遊び来ない?笹オケは美女と野獣の生み出す多幸感パネェし、マル秘バンドは俺が敬愛するグッドソングライターがドラム叩くって噂だし、アナログフィッシュパイセンは邦バンドきっての才能と実力を兼ね備えた素晴らしいバンドだし、呂布カルマはマジでドープでマジでクールコア、笹オリは超オルタナティブ&プログレッシブ。カレー食えて酒も飲めて疲れたら休めるしマジ居心地いいよ~しくよろー



2017年11月19日日曜日

移民の歌


レッドツェッペリンの曲に移民の歌と言うのがある。

何やら強そうなやつが登場する時にかけたり、ドラマーがスタジオ練の曲と曲の合間の暇そうな時にダンダダダドンとひとしきりやり「あっれ、おっかしいなあ」とか言いながらダンダダダドンと己の足さばきの熟練度を測っていたりするアレだ。アアアーアーー。
で、ものすごく乱暴に言えば、スゲー寒くて過酷な地から緑あふれる西を目指して侵攻するって内容の曲ですが、今日でも移民が移民を決意する時は生活環境をより良くしようと言うことは変わらないと思います。
今まで住んでいた土地を離れるわけですから斧を持って雄叫びをあげるくらいの勢いが必要なのは想像に難くないですよね。

さて、情報の波に乗るか飲まれるかの選択を迫られる2017年の現在、英国のEU離脱やトランプ政権の誕生など、その土地で代々生まれ育った人々と後から来た移民の間に軋轢があることが浮き彫りになってきている今日この頃だと思います。

やー、外人さんは多民族国家で大変だなぁとか、自分も移民の子であることを忘れてホゲーっとした頭で呑気にニュースを見ていましたが、自分の住む新宿区の居住者は10人に1人が外国人ってな訳で、コンビニやファストフード店では海外から来た店員さんを見ない日は無いです。
演奏の為に地方に行ったり、たまに帰省して帰ると「おお、日本人の店員がコンビニにいる!名札の名字が学校の同級生に一人くらいは居そうな奴だ」と逆に驚くくらいになりました。
子供の時にはとても珍しかったインドカレーの店も今や珍しい物でなくなったり、工場でアルバイトをすれば同僚はフィリピン人なんて事も珍しくなくなり、年々外国から日本に住むために来る人も増えていることかと思います。

中国人と日本人のルーツを持つ父と台湾&オランダ系のルーツを持つ母は戦後まもなく日本で生まれて、中国が建国されてすぐ中国に渡り、現在の北朝鮮ばりにハードコアな文化大革命時代に育ち、鄧小平が出てきて開国&経済発展路線にシフトしてから外国にも行きやすくなったって事で大人になってから日本に来てから、自分と弟が生まれたといういきさつもあり自分も幼稚園までは自分も中国人の名前でしたが、バブル真っただ中の日本で仕事を得て共産圏からうってかわって、働けば働くほど儲かって出世できる資本主義サイコー!ジャパンアズナンバーワン!これからもこの地に住み続けるアルよ、となったかどうかは定かではありませんが、そんなわけで小学校に上がるころには日本に帰化してこれからは日本人ってことでひとつヨロシクって事になりました。

とはいえ、自分は家庭内では中国語が飛び交っていた為、幼稚園児の頃の最初の1年くらいは日本語がまったくわからず「あぁ、みんな何言ってるか全然わからん…」と途方に暮れたのをいまでも良く覚えています。

さて、それから小学校に上がり日本語もだいぶわかるようになり、中国語も大分忘れてしまって、国籍も名前も日本人のものになったのですが、どうにも仲間外れにしてくる人ってのはどこにでもいるもので「お前は中国人だから来るな」とか「このキムチ野郎」みたいに言われる事も増えてきて色々物事もわかってきた今ならば「こら、だいいちキムチは韓国だ、中華鍋でぶん殴って一生チャーハン食えない体にすっぞこの野郎、5千年の歴史ナメんな」くらいの事は言えると思うがスクールカーストも低く、ガリガリのもやし野郎だった当時の自分は「俺の親が中国人なのは悪い事なのか…親はもうお前は日本人だと言うが学校の奴らはそうは言わない…パスポートも日本の持ってんのになんでだ?おかしいなぁ…」と首をひねり悩める日々を送っていました。

とりあえず、この国では周りに合わせないとどうも爪はじきになるようだと言うことはわかり、自分の中の中国要素を排除しないとやってけなさそうだなぁと思い、親に中国語で話しかけられても徹底的に日本語で話しかえし、親の中国人訛りの日本語を聞かれてネタにされてはかなわんなぁ、と言うことで家に人が来るのも凄い嫌な時期がありました。

まあでもね、どれだけ同化しようと努めても代々その土地にいる人たちの子孫と移民の子供の自分では残念ながら対等な立場を築くのは難しいと思います。
先に居る人達ってのはそれだけでその地の暗黙の了解やルールが染みついてますから、取説無しで放り込まれるのに比べたらそれだけでも有利かと。情報の格差があるんすよね。

よく移民の問題で後から来た人が現地のコミュニティや習慣に馴染まなくて困るんすわ、みたいなもっともらしい街の声が出てきますが、そう言う人達が逆にどれだけ相手の文化や習慣を理解しているかというのは中々疑問が残ります。
自分達だって誰かの土地や文化を奪った歴史の上に立ってるのによく言うよなぁ、と。
お化けの正体みたいに、わからないって事が結局人間は一番怖いのかもね。
つまり人間はお互いをお化けや妖怪のように見ているって事か。。。

2017年11月1日水曜日

睡眠薬の過量服薬で精神科の独房みたいな部屋に入院して出てきたって話 Part3 ~そして退院へ~

今日は眠くなってからこの辺で…と書き残し実に半年以上更新をおさぼりしていたのですが皆さまお元気でしょうか?
さすがに半年以上寝てたわけでは無く、何となくバタバタと日々過ぎてる内にってな具合で筆を取るのが遅くなりました、おっさんになってきてしまったので時間が過ぎるのは早いものです。続き気になってた人はスマンです。

そんなわけで精神科の閉鎖病棟に入院して、明かりが消せなくて寝れない。。。という感じの話までは書いたと思うんですが、これ入って2日目くらいの夜の話だったかなと記憶しております。

さて、それで起きて外の世界はどうなってるんじゃろうと確か待合のロビーにある新聞を要求したのですがそれも許可がないと読めないと。

兎にも角にも何をするにもここではお医者さんの言うことが絶対で、許可がないことはできませんの一点張りなので現場の人の匙加減で対応するって事は難しいようだ、とホゲホゲした頭でも何となく理解してきました。

かくなる上は脱獄か、との考えも頭をよぎりましたが、不審な動きを見せて刑期...じゃなかった、入院期間が延びてしまってはマズいと思い、おとなしく模範囚ならぬ模範的な患者になるよう心を砕きました。

しかし、心を砕こうにもやることがないので、布団の上で胡坐をかくか、寝っ転がってボケーっとしているくらいしかやることがありません。

いざ本当に何もやることが無いとなると、これはもう考え事をするしかないわけで、なぜ自分はこんなところに来てしまったのかと考え始めます。

ほんで色々と忙しくやってる内にオフを取る事を怠ったのがデカいかなぁと思うようになりました。
本当に何もしない時間ってのは病院に入るまで果たしてあったのだろうかと。
思うに前年の秋から年末にかけてちょっと忙しい時期があって、その時期がいったん落ち着いた時期に1人でどっか2~3日くらいどっか日常から離れたいなーと思ってたのですが、その時はまあでも家からいなくなると妻子もブーブー言うだろうとか考えちゃってそれを実行し損ねちゃったんすよね。ほんで、色々溜まってきて最後にやってた案件がひと段落した時にはもう限界超えててプツッと糸が切れた感じでした。

そんなことを考えられるくらい何もしない時間ってのは日常の中には意外と無いものなんですよね。
例えばゴロゴロしながらインターネットをしていて、今自分は最高にリラックスタイムを満喫してると思っていてもそれは結局何かしてるって事には変わりなくてたぶん脳はオンのままなんですよ。
なんで起きてから寝るまでの間、オンになりっぱなしになってるのはこのご時世案外色んな人もそうなのだろうなと思います。そりゃメンタルやられるわ。精神の不調は脳のエラーですからね。

本当に何もしないと退屈だし、時間を無駄にしているのではないかと焦燥感に駆られるようになりますが、思い切ってまったく何もない場所で何にもせず自分の内側と対話することはとても重要なのだなってのが今回の入院で得られた事の中ではもっとも大きい事だったのではないかと感じました。

それからすったもんだあって、病室の中でも読書を許されるようになり、懸命に努めておとなしくした結果10日ほどで無事退院と相成りました。やーあせった、出来る事なら二度と入りたくないです。釈放となった日の少し寒いシャバの空気は最高に美味しかったと今でも記憶しております。

2017年2月25日土曜日

睡眠薬の過量服薬で精神科の独房みたいな部屋に入院して出てきたって話 Part2

どうも皆様こんばんわorこんにちは。
さて、前回の投稿からしばらく間が空きましたが忘れてしまわないうちに続きを書きたいと思います。
今回自分が入った刑務所の独房のような部屋こと保護室って所について実際どんな所でどんな感じか気になる人も多いのではないかと。隠さなくても良いんですよ?人間未知の事については惹かれるものですからね、もっとも今回の件は人によっては引かれる話でもありますが。
はい、ではこちらが図解になります。

これをtwitterに投稿した所バズるんじゃね?と思ったのですが話題が話題だけにアクセスは伸びましたがRTやいいねはあまり伸びなかったです。
世界衝撃ニュースとかでもわかるように人が死にかけたりあり得ない不幸にあったりするシーンなんか本人にとっては生きるか死ぬかの一大事ですが、他者にとっては喜劇になりえますからね、全然キャッチーに扱ってもらって構わないと思うし、起きた事は事実でそれが自分にとっては避けがたかった事も仕方ないと納得してますんでそのくらいカジュアルに受け止めて欲しいと個人的には思っているのですが。
基本的には刑務所の独房と似たり寄ったりですが内装はログハウスやサウナのようなウッディな感じでこの手の部屋は真っ白だったりするのかな?と思っていたのでそこはやや意外に感じたとです。

さて、この中でどんな風に暮らすかと言いますと

・7半 朝食 パンなどの軽食と牛乳が部屋に運ばれてくる 朝の投薬を受ける

・9時 洗顔と歯磨きを許される なお週に3度の入浴もこの時間に行なえる

・11時半 昼食

・15時 おやつの時間

・17時半 夕食

・20時 夜の投薬を受ける

基本的には以上の流れになっていて、部屋の外に出られるのは9時の洗顔タイムor1回30分ほどの家族の面会のみです。

意識が戻った初日はまだ体に薬がたっぷり残っていて頭もやもや、体ぐらぐらで食欲も湧かずに2食抜かして夕食をすこしだけ手をつけました。
病院のメシと言うのは大抵薄味でヘルシーなもので今回も例に漏れずそうだったのですがそれでも味が濃く、油っこいものは余計こってりに感じ、胃腸が荒れているのか食べ物が体に入った際には異物感がすごくてああ自分はここに食道があり胃があるのだなと自覚せずにはいられなかったです。
水を飲むことへの欲求は凄まじく、渇きを感じ、喉と唇を潤したいと思う気持ちをこんなにも人は感じるものなのかと。
このような出来事から自分には体があり、そしてその体は生きる為に動いているのだなと強く実感しました。

さて、少し落ち着きますと人間自由を奪われ閉じ込められた状態と言うのは中々辛いものがあり大変退屈なものです。
そんなわけかどうかはわかりませんが部屋の中には気がどうにかなってしまった患者(今回は自分)がテンパって壊さないように鉄で出来た囲いでガードされたインターホンがあり、それを押すと看護婦/看護師さんが様子を見に来る仕組みになっています。
例えば飲み水が無くなったときに呼んでそれを伝えると新しい水のピッチャーをくれたりするわけですが、自分が最初に呼び出してした質問は「あのー、ここから出たいんですけど」といった間抜けなものでニッコリ『先生の許可が無いと出られませんのでいまはゆっくり休んでください』と一蹴されました。

さてこれはまいったな、暇過ぎてやることがないぞと部屋を見渡してみると先にこの部屋の中に居た人のメッセージらしきものがあるんですよね。
”がんばって生き抜こう”みたいななんてことないけど前向きな染みる言葉から”医者の〇〇は絶対○す”のようなアグレッシブなメッセージまで凄い振れ幅がありましたが、中でも参ったのが壁にでっかく引っかき傷で"バカ"って書いてあるように見えることです。
言葉の力というのはなかなか侮れない物でこれがずっと目に入るので俺がバカだからこんなところにいるのか?など身につまされるような気持ちになり無性に腹が立って来たので自分もガリガリ壁を引っかいて”パカ”にしておきました。アルパカのパカ。こっちのが可愛いし落ち着きます。

さて、不安材料を一つ潰した所で夜の薬(睡眠薬と安定剤)を飲んでさあ寝るぞとなりましたが部屋にはこうこうと電球色の灯りが灯っているんですね。
自分で消せるようなスイッチも見当たらないのでインターホンを押して電気消して欲しいと告げるも『防犯上の都合で消せない決まりなんですよ、ごめんなさいね』との事。
なんてこった、自分は電気決して寝る派なのだがここでは安眠よりも防犯上の理由が優先されるのか…と自分の人権が防犯上の理由以下に落ちてしまった事にショックを受けるのでありました。
しかし明るいままではどうにも落ち着かないので、ちり紙をランプの傘のように工夫して貼って暗くする事に成功したのですが、見回りに来た看守...じゃなかった、看護婦さんに『それやって前に煙出た人いますんで外してもらって良いですか』とやはり人は追いつめられると同じ事を考えるのだなと思うとともにここでは暗やみが欲しいといった本当にささやかな願いも届かないのだな…と肩を落とし、1.5~3時間ほど浅い眠りについては起きる感じで夜は過ぎて行きました。

いまでは無事に自宅でキーボードをカタカタやってるわけですが、今日はもう眠くなって来たのでひとまずここまでで...

2017年2月17日金曜日

睡眠薬の過量服薬で精神科の独房みたいな部屋に入院して出てきたって話

おっす、皆様心身共にお元気でしたでしょうか?
私は残念ながら元気ではありませんでした、どうも、大林です。どよーん。
タイトルの通りの騒動がつい10日ほど前にありましてつい先日シャバの空気をようやく吸えたのでこうしてブログなぞ書ける状態になっております。

さて、痛風腰痛公汎性発達障害など持病のデパートと化している不肖わたくし、他にも何を隠そう"うつ"も若い時分より嗜んでましてですね、詳細は各自リンクよりウィキってもらうとしてまあようは色々あって人より気分の浮き沈みの差が大きいと。

で、私事ではありますが色々とありまして年明けの頃から段々と気持ちが塞ぎ込んでですね、毎日少しづつ心が見えない手で押されていたような感覚になり遂には気付いたらあと一歩の所まで来てしまいドンっと押されてそのまま落ちてしまって目が覚めたら病室に(13年5ヶ月ぶり)って感じでした。

正直記憶が飛んでしまって事の始まりのあたりは自分も実感が無いのですが睡眠薬を10シート(1シートで10~12錠、確か)くらい飲んだようなとこまでなんとなーく覚えてて妻の話によるとまっすぐ歩けない程のヨレヨレの状態で外でぐにゃーっとなっていたのを親切な人が家まで連れて来てくれてきた模様で、その後都内のかかりつけの医者に連れて行かれ、コバトン県の病院に入院って流れに。

道中では「俺を狂人に仕立て上げてぶち込むつもりなんだろう」「とにかく病院には行きたくない 嫌だ 行きたくない」とか言いながらおいおいえんえん泣いていたと伺っており、かなり異様な光景だった事は想像に難しくなく、妻と母にはもう10回程スライディング土下座しましたしこれからも足を向けずに眠りたいと思います。

で、目が覚めて気付くと刑務所モノのドキュメンタリーなどで見たような光景の部屋に居ましてですね『とうとう自分は永年確執のあった弟を無意識のうちにカインとアベルよろしく殺害してしまってムショにぶち込まれてしまったのではないか』とビビりましたが、看守ではなく看護婦さんが来たので、『ああなんかやらかして病院入っちゃったのか...』と ぼやーっと頭と体がもやになってしまっているような状態の中ほっとするような生存してる事にがっかりするような気持ちが半々になりました。

その後部屋にきた主治医(宮崎駿に超似てるので心の中では"駿"と呼んでいる)や母と妻よりどうやら事後2日経過しているらしい事を知る。なるほど。

今回入ってしまった部屋は精神病院の閉鎖病棟の奥の院とも言える隔離室と言う所でですね、10年以上くらい前も閉鎖病棟にはお世話になったのですが時々叫び声などが聴こえてくるその場所を初めて知った時は『やー、俺もこんなとこ入っちゃったけどさすがにあそこだけはやだなぁ』とガクブルしていたその場所に気付いたらいたと。
まだまだ死ぬ気が失せきってない身でしたから『あーやっぱ我が人生最悪の時だ やっぱ死ぬしか無いわこりゃ』とネガ方面にまっしぐら。
よく拘置所で首を吊って自殺とかきくじゃないですか?そうゆうノリでうまーく縄状にした洋服とかを引っ掛ける手頃な物は無いかと辺りを見回してみるとですね、やっぱりあるんですよねこれが。『女房子供とバンドメンバーには迷惑かけるが俺なんか生きてる方がたぶん迷惑かけるし自分も辛くて辛くてたまらないからこうするのが一番良いんだ これで今度こそ終わりだ』と思いながら昔魚釣りで覚えた結び方でしっかり結わえて首入れてよいしょっとやったんですわ。

したらばね、これがやっぱ苦しいんですよね。首吊りは自殺の中では苦しみが少ないとか言うけどあんなん大嘘ですわ、痛いし、頭 かぁーってなるし、死ぬ程苦しい。死のうとしてるのだから至極当然なのだがとにかくヤバい。
で、こりゃもう向こう岸までタッチしたなってくらいのとこで生存本能がぶわーっと蘇って来て、あかんあかん!!ほんま死ぬ!!アカンて自分!!子供とか音楽とかどないすんねん!!これホンマにアカンやつやって!!となりまして自分のデカいガタイでじたばたしてたら洋服結わえてる側が物理的に壊れましてな、どうにかこうにか私を土俵にした生の本能と死の本能の独り相撲は生の本能が勝利を収めた形となったのであります。

さて、久々に文章書くとちょい疲れますね、後日談もあるんですがちょっと分けさせてもらいますー。

2016年12月2日金曜日

笹口騒音&ニューオリンピックス 2020について

先日自分の参加しているバンドのCDが出た。
最近記憶力の低下がひどく、3歩歩けば昨日の夕飯のメニューを忘れてしまうので、すっかり忘れてしまわないうちにこのバンドが結成され、アルバムが作られるまでの経緯を軽く説明しようと思う。
2015年末、笹口くんはオークションサイトで何やらリズムマシンをやたらと買い込んでいた。
ちょうどうみのての活動も終了する事もあり、その行為は彼にとっての新しいバンドメンバーを探しているようで、そんな折に自分とは別のバンド(笹口騒音オーケストラ)の録音の編集でそのころ年がら年中顔を突き合わせていたので、あの機材はどう?みたいな感じでリズムマシンやシーケンサーやシンセについて色々と話をすることが多かった。
万事快調と言うわけにはいかず、オークションで落札したものは年代物のガラクタばかりでうんともすんとも動かない物もありなかなか難儀しているようだった。(ちなみに動かなかった悔しさは相当の物だったようでそのリズムマシンはソロの”YAOYA”のジャケットに登場していて転んでもただでは起きない人だなあと後に呆れるような感心するような...)

かたや自分は遡る事10年ちょっと前だっただろうか、10代の終わりに当時住んでいたアパートの隣人の韓国人の映画監督と井戸端会議をしていたらそういえばあんま使ってないけど面白い音が作れる楽器があるから音楽やってるならあげるよとアナログ・シンセサイザーをタダでもらった事をきっかけに、なんじゃこのつまみがうじゃうじゃついてる機械とも楽器ともよくわからん妙ちきりんなものは…と面食らったが、当時愛聴していた日本の伝説的パンクバンド"ほぶらきん”のようなふにゃふにゃした音がすぐに出せたのでこれは面白いとのめり込み、この楽器を使っている人達は他にどんな人がいるんだろうと調べて行った先にクラフトワークやYMO(そして、それらの素晴らしい子孫たち!)にぶつかり、それまでロック原理主義者だった自分の心の壁を揺るがし崩壊させ、僕は白旗をあげながら二股をかけることにした。
けれどもけれどもその手の電子楽器いじりはあくまで趣味の範囲でバンド活動の傍ら自宅で変な音を出すに留まり、なかなか自分のバンドや音楽にはうまく導入できなかった。未だにスタジオにシンセとリズムマシンを持って行った時の当時のバンドメンバーの”いらんもんもってきよって…"と言う心の声が聞こえて来るような呆れ顔を昨日の事のように覚えている。ロックバンドと言う物は未だに真空管アンプに60年も前から対して変わってない伝統的な設計の楽器を使うのを良しとする人も決して少なくはない事からもわかるように以外と保守的な人が多い物なのだがそのころは自分も電子楽器の扱いが下手すぎてクソみたいな事しかできなくて他の人を動かせなかったってのもあるのかもしれない。

さて、笹口くんのRadioheadに対する偏愛はわりと皆の知る所であるのですが、それゆえ自らのバンドでの表現をエレクトロニックな方向へ舵をきることについては並々ならぬ物があるようだった。しかしここからがお茶目な所なのだが「タッチパネルじゃないパソコンは全然使えないんですよ わけがわからないですよ あれは」とよく言っている事からもわかるよう、ぶっちゃけ、あまり機械に強い方ではない。しかしバンドの電化は誰もが1度は憧れる道。あいわかった、ここはひとつやってみようと自分は船に乗り込むことにした。

次に他のメンバーを探す必要があり、我々は非ロック的なアプローチでエレキギターを演奏できる人材を求めた。
そこで自分の近所に住んでいてエレキギターでボーズオブカナダの音を出す事に熱をあげている青年がいた。姓はムライ、名はタカフミという。
彼の影響を受けたバンドには確か笹口くんとの共通項があったためウマが合うのではないかとひらめき、我が家で鍋を囲みながら引き合わせた。
2人は共通の影響を受けたバンドの動画をyoutubeをぐるぐるまわし、これからやりたい事をリストアップしたりアイデアを膨らませて行った。
取り急ぎ2/29のloftでのお披露目コンサートの為に急ピッチで新曲をボコボコと作り以前のレパートリーを新たなアレンジにすることに労力を費やし、各々が今までの活動でやってみたかったけどできなかった事をこれでもかと盛り込んだ。
その甲斐あってか初ライブでも手応えを感じた我々は、結成から1ヶ月が経ち1ステージ分のライブをまかなえるだけのレパートリーを手に入れたので、いくつかライブを行い、音源の製作の構想を立てはじめた。また、ライブの際はダイナミクスを増強すべくリズム隊を加えた形態となる。

そして6月、録音がスタート。この時はまだメンバー全員が’'まぁ結成したからには音源もないとね’'みたいな居酒屋でとりあえずビールを頼むように取りかかりはじめたのだが、これが夏まで続く受難への暖簾をくぐったことになっていたとはこの時はまだ誰も気がついていなかった。

まずは既存のライブでのレパートリーより6曲(M1,2,3,5,7,8)を録音を開始。他の楽曲は製作との同時進行で録音をしていった。
通常の録音ではリズム隊に相当するパートから録音するのが慣例だが、今回はムルアイ君が仮のリズムトラックとわずかな下地の上でまずはのびのびとやってもらおうと言う事でペンキを壁にぶちまけるようにチェロの弓でギターを擦ったりありったけのエフェクターを詰めたフロアボードよりあの手この手で色を添えた。
また今回の録音で大変だったり思い出深かった事は?との問いかけに、曲によっては製作と録音を並行して行なっていた為に完成形の全容が見えていないまま録音に挑んだ曲もあり、暗中模索の状態のままへとへとになるまで即興演奏を繰り返したことなどとムライくんは言っていたが、奮闘の甲斐あり、それらの膨大な断片を再構築/再編集した事によって印象深いサウンドをアルバムに与えている。

7月初旬、笹楽器パートと自分のパートの録音開始、ここからが実に大変で、ほぼほぼ毎日顔を突き合わせ、この頃には妻よりも笹と過ごす時間の方が長く、はじめはSNSに録音なう☆最高のアルバムマスカムなどと書き込みはしゃぐ余裕があったのだがやがて非日常はただの日常となり、つぶやくこともせず黙々と各々のすべき事を記録していく。

生まれも育ちも違う人達が何かを共に作る場合につきものの話だが、お互いここは外せないと思うポイントが微妙に違っていたりすることがある。

もしも音楽を料理に例えるならば、自分は割と策士策に溺れるタイプと言うか煮詰めれば煮詰める程美味くなると考えて煮込み過ぎて焦がすタイプ、笹口くんは直感に従って選んだ具材をしゃぶしゃぶみたいにサッと湯に通すのを良しとするタイプなのかなーと感じている。
ので、片方は煮込み過ぎてぐずぐずじゃんと思ったり、一方いやいやそれまだ生煮えですやんとなった場面も少なからずあったのではないかなと記憶している。
しかしお互い美味しい料理を作ると言う目的を達成する点では同じなのでとりあえず良くなったり面白くなったりしそうな案があれば口をつぐまずに互いの意見やアイデアをぶつけあって形にできたのではないかと自分は思いますが笹口くんはどうだったんだろうか?こんど聞いてみようかなぁ。
ともあれ本作は自分の録音史上最も長く製作に時間がかかったアルバムであり、6月初旬〜8月初旬まで1回5~6時間のセッションを週3~4日くらいのペースで行なわれた。
気がつけば居酒屋でとりあえずビールを頼んだつもりがいつまで経ってもたどり着けない城を目指してしまったかのような気持ちになっていたが、時には慎重に、時には大胆に歩みを進め、その結果無事に一つのアルバムとして完成したのでありました。

もう後は音楽は聴いた人のものですから、ここから先は嬉しい感想をもらえればなによりではありますが、クソだった、前のバンドの方が良かった、みたいな意見でも誰かの口を塞ぐ事はできないし、自分も塞がれたくはないし、自分としては何言われてもやるだけやった!悔いなし!と思う名盤を作れたと自負しておりますのでご意見ご感想もご自由にどうぞ。
そして何らかの形でこの音源を聴いてくれた皆様とこの長ったらしい文章にお付き合い頂いたスクリーンの目の前のあなたに感謝を。

2020年新五輪の旅、是非ともお楽しみ頂ければ幸いです。


以下 あくまで私の主観ではありますが各楽曲についての覚え書きをしたためましたので旅のお伴によかったらどうぞ。

1:MY NATIONAL ANTHEM
ムライくんの弓ギターから和太鼓の音へと繋がるアルバムの冒頭の曲。
架空の国歌を意識した式典っぽい物々しさのある仕上がりになったのではないかと思います。

2:NEO TOKYO
1曲目がオープニング曲だとしたらこの曲が本編の始まりって感じで、本作の世界観を提示するパートを担っているかなと思います。
19XX年第三次世界大戦が勃発、世界は核の炎に包まれた世紀末…からの2020年ネオトーキョー。
当初はライブと同じくエレキベースで録音したが、80年代でテクノロジーが止まってしまったパラレルな未来のイメージが曲の中から浮かび上がってきたのでシンセベースに差し替えたらとてもトレンディなアトモスフィアを獲得する事に成功した。満足だ。

3:NEO TOKYO STATION
荒廃したネオトーキョー駅は巨大ながらんどうとなり夜な夜な違法集会が行なわれるディスコと化してしまっていた!なんということだ!変わらずにいたのは東京駅の主の声だけなのか...!?時代錯誤な909のキックがビンビンだ!!

4:SECRET SHADOW PLAY
2曲目でドイツ車に…との歌詞が出てくるが、この曲の自分のパートはもろにドイツを意識していて昔のドイツのグループみたいに機械的なフレーズを手弾きでブリブリと演奏するのはアウトバーンな感じで実に気持ちが良いです。何故かこの曲を聴くとチャップリンの独裁者の地球のボールで遊んでる場面がいつも頭に浮かぶ。

5:BLUE TRUTH
今回のCD化に伴い追加された新曲。人間を辞めて機械の体を手に入れたメカ・ササグチのメカメカしいボーカルと2:56からの水中に飛び込んだ魚のようなギターが個人的にはお気に入り。

6:NO MUSIC NO DANCE

迷わず見ろよ、見ればわかるさ

7:DANCE GHOST DANCE
アイエェェ!?ダンス!?ダンスのオバケ!?オバケのダンス!?そのどちらなのかはさておき、かつてのダンスミュージックと現代のダンスビートとの対比が肝。幽霊の声はモジュラーで作った。

8:SAMARIA CANARIA
人知を越えたドラムが炸裂するサマリアカナリア、発狂しそうになりながら夜なべしてビートをメイクした。戦車のキャタピラがなんでもなぎ倒してく感じ。この頃、徹夜の事を「小室」と言い変えるある年齢以上の人にしか通じない遊びにハマっていたが冷静になった今ではそんなに面白いと思わなくなってしまった。

9:NEW OLYMPIC
禁断のサンプリングから始まる我々のテーマソングとも言えるこの曲。
ライブではシンセのパッチングで始まる曲なんだけど、空気の中にある電気が可視化できるような音を意識している。
あと、歌詞で"人類みんな金メダル"って中々言えないと思う言葉をさらっと入れる所が憎いなあと思います。

10:STRANGE NEWS FROM ANOTER STAR
全ての異星人たちに捧ぐ 異星人応答せよ

11:NO
ハードオフで衝動買いしたコロムビアのエレクトリックピアノ(3000円)のメロウなイントロに笹オケのスーパートランぺッター、カトさんをお招きして金のラッパを吹いてもらった。
かなり早口なため声の録りに笹口くんはとても苦戦していた記憶がある。
2番のAからはMCジャンボがインダハウスして冒頭は日本一知られているパンチラインから失敬して、半生をカミングアウトしている。冗談のような内容だがどれも実話で自分としては恥ずかしいエピソードが多く、本職のラッパーをfeatして他のリリックに差し替えるつもりだったのだが、人生にはいつでもパンツを脱げるガッツも必要だと思い、最終的にはなんだかんでこれで正解だったと納得している。
"NO NO NO NO NO NO~"の箇所のコーラスはジャマイカ姉妹と言うユニットを結成したが録音終了とともに解散している はかないね

12:...EUREKA GO
ジャケットの胎児?モンスター?(どっちなんだろうね?)って存在の独白のような曲ってイメージ。
ざくざくと穴を掘る音はカシオトーンのサンプラーで作ったのだけど、これは、手話の出来るゴリラに死んだらどこへ行くのかとの問いかけに対して「何も無い穴にさようなら」と答えたと言う実話に感銘をうけて入れたもの。

...てなわけで自分もそろそろ穴に帰りたくなってきたので以上で解説を終わりとします。それでは末永くご愛聴下さい。そしてなるだけ夜更かしせず早く寝ましょう、では、おやすみなさい。